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セミナー

東アジア古典学の方法 第83回
次世代ロンド(36)

日時
2023年6月17日(土)14:00-17:00
会場
東京大学本郷キャンパス、オンライン(参加方法についてはお問い合わせください)

基本情報

概要

呉皞(京都大学 博士課程)
「『文苑英華』表・状・啓部分の選文来源と編纂策略」
コメンテーター:安原大熙(東京大学 修士課程)


高尾祐太(広島大学 助教)
「能《清経》考——『謡抄』の再検討から一曲の構想に及ぶ——」
コメンテーター:早川侑哉(東京大学 修士課程)

主催

科研「国際協働による東アジア古典学の次世代展開──文字世界のフロンティアを視点として」

当日レポート

 当日は呉皞さん(京都大学博士課程)と高尾祐太さん(広島大学助教)が発表を行いました。コメンテーターは安原大熙さん(東京大学修士課程)と早川侑哉さん(東京大学修士課程)が務めました。

 まず、呉さんが「『文苑英華』表・状・啓部分の選文来源と編纂策略」というテーマで発表された。発表では、北宋に成立した、梁末から唐代の詩文を集めた詩文集『文苑英華』の表状啓文部分の選文来源と編纂策略の検討を行った。呉さんは『文苑英華』における編纂傾向を調べるために、「入選率」という概念を導入し、本書に入選された作品がその作者の同文体の全ての作品に占める割合を統計した。そこで①『文苑英華』の編者たちは事前に選定された別集の中から、厳密な選別をせずに作品を大量に収録し、②一部の作家の別集は選択の対象に含まれていなかった可能性がある、という二つの推論にたどり着いた。これらの推論を踏まえて、呉さんは『文苑英華』の「表」の選文標準に「作家順位制」が存在する可能性を示唆した。つまり、複数の編者によって選択された文章を別の統合者によって統合される際に、統合者は文章の優劣ではなく、作家の順位の高低に基づいて文章を淘汰するということが想定される。この推論に基づいて、呉さんはまた状・啓部分の選文来源と編纂策略を検討した。

 発表に続き、コメンテーターを担当した安原さんより先学が唱えた「三分の一」説(ある作家の『文苑英華』に入選された全ての文体の作品数が、その作家の総作品数の約三分の一を占める)の妥当性、入選率と編者が属する集団の好みとの関係、統計学の概念や手法などについて質問及び討議が行われた。

 続いてフロアから晩唐の人には中・晩唐の区分意識があるか、「表」の編纂策略は『文苑英華』全体の編纂にも及ぶことが言えるか、政治上の都合も入選率に影響を与えた可能性、そして作家の順位を決める要素、かかる推論は詩賦の入選率にも通用するかなどの指摘がなされた。

 続いて高尾さんの発表に移った。発表のタイトルは「能『清経』考―『謡抄』の再検討から一曲の後世に及ぶ―」である。まず、高尾さんは世阿弥自讃の作である『清経』の位置を明らかにし、それから、従来「蛇足」だと言われる「夫婦の心情のすれ違いを軸に」する曲によって構成される終幕部について再検討をした。高尾さんは終幕部の曲にある「通玄道場」という言葉に注目し、『謡抄』におけるこの言葉に関する解釈は天台智顗『維摩経疏』に依拠するのだと指摘し、更に『謡抄』が『維摩経』を選んだことは『清経』一曲の本質を捉えているのだと論じた。その理由として、「通玄道場」だけでなく、それに続く「無明も法性も乱るる敵」という句や、清経の登場部分における象徴などにも『維摩経』に説かれる思想との相通ずる部分がある可能性を提示した。そこで『清経』の終幕部は、実は悲恋から仏道への昇華に転調する意義を有するのだと唱えた。

 発表に続き、コメンテーターを担当した早川さんが近世の謡曲の普及について質問した。また、『維摩経』所説の思想が複数の経路を辿って東アジアに流布した可能性を踏まえて、『謡抄』の様な理解が中世~近世の日本で通行していたという見方を提示し、そして「一床」や「聖人に夢なし」などの語句についての理解も討議した。最後に、自身の研究対象である王維の詩にも『維摩経』の受容が見られることに触れた。フロアからは「通玄道場」が漢文の書き方を用いた原因は聞き手が分かることを前提にしていたのか、「通玄」と言う言葉をどのように理解してよいか、そこに禅宗の影響が見られるかなどの意見が挙げられ、討論が行われた。

 休憩をはさみ、2名の発表者と2名のコメンテーターが今回の発表全体についてまとめのコメントや今回の発表から新たに浮かんだ課題等について述べ、終了した。

(武茜 東京大学博士課程)