基本情報
概要
テーマ1:中国語複合語における日本語借用語からの語構成上の影響
話題提供者:李瑶(京都大学博士後期課程)
テーマ2: 弘仁本『文館詞林』における「蕭景墓誌銘」の序と銘の作者は梁孝元帝であるのか
話題提供者:陳錦清(京都大学博士後期課程)
主催
科研「国際協働による東アジア古典学の次世代展開──文字世界のフロンティアを視点として」
当日レポート
当日は、本学の先生及び大学院生の方にお集まりいただき、本学博士課程の李瑶さんと陳錦清さんに話題を提供していただいた。
最初に、李瑶さんが「中国語複合語における日本語借用語からの影響」というテーマで発表を行った。19世紀末期から20世紀初頭にかけて、大量の日本語語彙が中国語に借用された。今回の発表は、中国語語彙の大部分を占める複合語について、日本語借用語からの影響、とりわけ語構成上の影響に着目したものであった。
李さんの発表の概要は次の通りである。
中国語に受容された日本語借用語は、もともと中国語として存在したフレーズが日本語に入って一語化したり、既存の中国語が日本語に転用された際に変形されたりして、その後、再び中国語に入ったものである。これらの借用語は、結果的に、あたかも本来中国語の中に存在した複合語であるかのように「偽装」することとなり、容易に人々に受容されて定着し、中国語複合語の一部となって常用されるようになった。
続いて中国語のVO型動詞について、日本語からの語構成上の影響が検討された。中国語のVO型動詞は基本的に目的語を伴わないが、目的語を伴い得るVO型動詞の多くは、日本語からの借用語である可能性が高い。これらは、日本語では活用語尾がつけられ、「ヲ」格または「ニ」格の目的語を取る他動詞として用いられたが、再び中国語に流入した際に、形式の面では日本語の活用語尾が捨てられ漢字語幹のみが借用された。一方、文法機能の面ではその動詞の文法機能全体が借用されたので、伝統的なVO型動詞の文法機能から外れて、中国語でも目的語を外部に取るようになったと思われる。
少し休憩時間を挟んで、2番目の発表は陳錦清さんの「弘仁本『文館詞林』における「蕭景墓誌」の序と銘の作者は梁孝元帝か」であった。
その発表の概要は次の通りである。
『文館詞林』は唐代に編纂された漢詩文集であり、中国では唐以降散逸し、日本に数十巻のみ残る佚存書である。弘仁本『文館詞林』は、日本高野山各寺・宮内庁書陵部天理図書館に分蔵されている。今回の発表で陳さんが着目したのは、弘仁本『文館詞林』に収録されている「郢州都督蕭子昭碑銘一首並序」(以下、「蕭景墓誌」と略記)である。従来、『文館詞林』の撰者が言うように、「蕭景墓誌」の序と銘の作者は梁の元帝(蕭繹)と考えられてきたが、陳さんは、これは検討の余地があるという新たな知見を示した。
陳さんはまず『文館詞林』は編纂上の都合で、本来の題名を改め、「地名+都督+人名+碑銘一首并序」という形式に統一されている可能性を紹介した。次に蕭繹の作とされる他の墓誌を考察し、「蕭景墓誌」の序の特徴を明らかにした。同じように銘が蕭繹の作、序は別の人が書いたことが明らかになった「智藏法師碑」(522年)と「太常卿陸倕墓志銘」(526年)を取り上げ、蕭繹は銘のみを作り、序は蕭景の側近であり、書物を管理する事務官であった人物によって作られたという可能性を述べた。
そして、北魏討伐という歴史的事件をめぐる序と銘の表現の矛盾や銘のみに見られる内容に着目しつつ、「蕭景墓誌」の序と銘の作者が同一人物ではない可能性を検討し、最後に「蕭景墓誌」が書かれた背景を考察した。
また、裴子野が蕭景の事務官「冠軍録事」であったこと、国史を編纂する「著作郎」に任ぜられたこと、及び裴子野と蕭景の息子である蕭励や蕭繹と親交があったことなどを手掛かりにして、序の作者は裴子野である可能性があるという仮説を提示した。
その後の自由討論では、日本漢語、日本語借用語、日本人蘭学者とその翻訳活動、明末清初における漢訳洋書にある外来語の影響、明末における西洋宣教師が作った漢訳洋書の普及度、韻文、墓誌銘、論点の絞り方などについて活発な議論が行われた。
刺激的な議論の場を用意して下さったお二人の発表者、そして討論にご参加くださった方々に、改めて感謝を申し上げたい。
(京都大学非常勤講師 王怡然)
次世代ロンドについて
科研プログラム「東アジア古典学の次世代拠点形成──国際連携による研究と教育の加速」(代表:齋藤希史)では、2016年度より、若手研究者による研究発表・交流の場として「次世代ロンド」を立ち上げました。
大学院生やポスドク、助教、講師などの若手研究者から発表者を募り、自らの所属機関以外の場所での発表を奨励するのが特徴です。コメンテーターも同様に若手研究者から募集し、所属機関の枠を超えた研究交流の促進を図るものです。