基本情報
概要
日本人の漢詩の注釈についてー津阪東陽『杜律詳解』を中心にー
主催
科研「思考のための注釈:東アジア古典学の創新に向けて」
北京大学外国語学院日本語言文化系
当日レポート
2024年11月24日、北京大学にて、「東アジア古典学の方法」シリーズ特別講義第八回が開催され、京都大学の道坂昭廣教授が「日本人の漢詩の注釈について―津坂東陽の『杜律詳解』を中心に―」をテーマに講義を行いました。講義では、津坂東陽の注釈方法を具体的な事例を用いて考察し、日本人による漢詩注釈の一般的な傾向とその文化的背景についても詳述されました。
道坂先生は「『杜律詳解』は注釈といえるのか」という問いを投げかけ、江戸時代後期の儒学者・津坂東陽が藩校で初学者向けに行った講義に基づくものという本書の特徴を分析しました。『杜律詳解』は中国の注釈(例えば仇兆鰲『杜詩詳註』)と比較すると、対象読者の違いから鑑賞的な解説に重きを置くなど、注釈の方法において顕著な違いが認められます。
道坂先生は具体例を挙げながら、津坂が従来の中国注釈に対して反論を展開した箇所を詳細に検討しました。たとえば、杜甫の「香稻啄余鹦鹉粒,碧梧栖老凤凰枝」に対する過度な政治的な解釈を批判し、詩そのものを文学作品として捉えるべきだとする津坂の立場を解説しました。また、杜甫の心情解釈においても、中国の注釈者が詩人の現実的状況から心情を導き出すのに対し、津坂は詩の表現そのものから心情を読み解こうとしたことを強調しました。
さらに道坂先生は、日本の漢詩注釈の歴史全体に視野を広げて、「『杜律詳解』の方法は特殊か」という問いを掲げつつ、日本人の漢詩注釈における一般的な特徴についても考察しました。また、『杜律詳解』が漢文で書かれた背景について、いくつかの可能性を提示しました。
東京大学の斎藤希史教授は講演を総括しつつ、中国と日本の漢詩注釈における態度の相違は注釈者の生きている現実世界と古典世界との距離感の違いに由来する可能性を指摘しました。また、「講義の圏域」をキーワードに、日本側の先生とも議論を交わし、日本と中国での注釈の形成過程や受容の違いについて深めました。
ほかにも、五山僧の間で行われた講義の聞き書き、『源氏物語』の注釈、『日本書紀』の講義、注釈の受容と詩句の図像化などについて、参加者との間に盛んな議論が交わされました。
最後に丁莉先生は、前日に開催された「東アジア古典学の方法」国際シンポジウムでの斎藤先生の講演内容に触れつつ、「思考のための注釈」の意義を強調して、道坂先生をはじめとする参加者全員に感謝の意を述べ、本講義は成功裏に終了しました。
(匙可佳 北京大学)