基本情報
概要
慶應義塾大学附属研究所斯道文庫にて、佐々木孝浩教授を講師に迎え書誌学の講義及び実習を行います。
参加学生は東京大学、京都大学、北海道大学で日本古典文学を学ぶ大学院生及び若手研究者です。
尚、当講座は定員制となっております。
主催
科研「思考のための注釈:東アジア古典学の創新に向けて」
慶應義塾大学附属研究所 斯道文庫
当日レポート
慶應義塾大学斯道文庫にて、6回目の書誌学実習を行いました。これまでと同様、佐々木孝浩先生にご協力を仰ぎ、斯道文庫の資料を見せていただきながら、書誌学の基礎的な事項について講義をしていただきました。
以下、参加者が書いたレポートの一部を掲載します。なお、掲載に際して、若干表現を改めたものもあります。
《高原智史(東京大学 博士課程)》
明治の思想を研究し、主に対象としている旧制第一高等学校の『校友会雑誌』はPDF化されていて、それで読んでしまっているため、近代以前の書物、書誌学にはさほど触れてこなかった筆者には、今回の書誌学実習は新鮮な学びの場となった。
まず総論的なお話があったが、筆者が雑誌をPDF化された形で読んでいるように、デジタル技術が進展し、読書体験がヴァーチャルになればなるほど、現物のことを知っていることが、解像度を高めて資料を読む上でますます大事になるとされた。このことは、筆者も日頃から感じていることで、デジタル化の恩恵につい浴してしまうが、同時代の読者が、ディスプレイに映る形ではなく、冊子等の形で(と、簡単に記してはしまうが、「冊子」にする方法が、特に近代以前ではいくらでもあるというのが、実習の中で豊富な実例と共に示されたわけである)、実際どのような環境でテクストを読んだかをも含めて追体験することが大事ではないかという思いを新たにした。
紙の話から装訂の話へと移っていった実習の本体部分では、知らないことが目白押しであった。「巻」という言葉について、古今集二十巻といったとき、冊子体では二冊、歌を一行書きすれば一冊になり、「巻」というのが物理的な量か、内容別のことか分からなくなるということがあった。物にまつわる呼称の問題であるが、やはり物のことが分かっていないと、おぼつかないものだと感じた。折本はハンズフリーで広がるから、手で紙を押えて書く書道のお手本に適するという話は、物の特性と資料の用途とがマッチしたものと感じた。折紙綴葉装は紙の質からいって軽く(装訂と紙にも相関関係がある)、旅の連歌師の運んだ本に多く用いられたというのも、物の特性と資料の用途とがマッチしている。枕草子の抄出本は古いものが残っているというが、なぜ抄出したかというのはテクストだけからでは分からない。折紙綴葉装であり、やはり連歌師が連歌の参考のために用いたものとみられるといい、テクスト分析ではなく、書誌学が開く知見というものが見られた。
《薄 鋒(東京大学 修士課程)》
貴重な和漢古典籍の現物を触りながら、書籍の制作に関する料紙と装訂、及び改装の様相と変遷を五感で学んだことで、歴史上の人物たちの文学生活を更に近づいて観察できるようになりました。最初に驚いたのは、料紙の種類の豊富さと模様の多彩さです。そして、装訂の多様な手法もかなり興味深く、例えば、面倒の点もありながら「権威」の象徴として古くから使われてきた巻子装や、利便性がありながら経典以外に多用されなかった折本装、最も古い冊子の装訂でありながら死番虫の大好物でもある粘葉装、敦煌に古くあったが中国では普及せず日本に愛用されてきた綴葉装、及び圧倒的に数多く現存するため和本の代表的な装訂だとされている袋綴装などは、様々あります。しかも、各装訂の様相と変化に反映されている時代性と地域性も面白く、恐らく人々の書物に対する態度にもある程度の影響を与えていたでしょう。
更に、様々な改装により、書物の正体を簡単に判断できない場合も数多くあるため、改装を確認する必要もあることを初めて学びました。「声なき情報」としての書誌情報は、書物の成立過程と深く関わっているため、内容としてのテクストのみを重んじた文学研究にも多大な助力を提供できるに違いありません。
《安原大熙(東京大学 修士課程)》
今回の実習では、書誌学の基礎について実物に触れながら体系的に教わる事ができたが、その中でもテーマとしてもっとも興味深いと感じたのは、料紙や装訂に隠された意味合いについてである。例えば、青色が上、藍色が下に来る和歌の短冊においては、前者が天、後者が地を表すという事など、短冊における装飾の意味合いについて、実物を参照しながら詳しく学ぶ事ができた。
また、見せていただいた資料の中では、東海散士の『佳人之奇遇』に惹かれた。私の専門分野は明治漢詩文であり、『佳人之奇遇』の挿絵と漢詩文の修辞についてはこれまでゼミ発表をした事もあるが、今回閲覧したような緑色のスピンつきの版本は目にした事が無かったため、大変珍しいように思われた。この『佳人之奇遇』は、清版風の仕立てになっている事や、袋綴装であるにも関わらず粘葉装のように端が糊付けされており、また見開き全体にわたる挿絵の中央につなぎ目がない特殊な装訂になっていたため、興味をそそられた。このようなつなぎ目がない装訂は幕末以降の版本においてしばしば見られる手法であるようだが、『佳人之奇遇』の美術史学的価値としてよく取り上げられる、明治初期においては珍しかった西洋由来の石版印刷(リトグラフ)による挿絵の挿入の問題と奇妙に交差しており、その点においても考証の価値があるように思われた。石版印刷によるきめ細やかで美しい挿絵を、当時既に流行していたつなぎ目のない特殊な装訂と掛け合わせる事で、見開き全体にわたる大きな挿絵のインパクトをより一層強調しようとしたのかもしれない、という事などを実習終了後に考えた。
《黄弋粟(京都大学 博士課程)》
書誌学関係の本や解題などを読んでいると、私はいつも「異なる種類の紙を実際に触り比べたり、装訂を見比べたりできれば、より一層理解が深まるだろう」と強く感じていた。紙(または紙に類するもの)があってこそ、文字が存在するのであり、文字はその媒体である紙に大きく依存しているから、紙を十分に説明することは難しい。こうした悩みを抱えたまま今回の実習に参加し、触覚・視覚・聴覚を全面的に駆使して書物を 体感することで、従来の疑問がだいぶ解消された。
断片的ではあるが、ここに印象深い史料と出来事をいくつか記しておく。
【八世紀書写の資料】箱には『大般若経巻第二百十九(和銅経)』と題されており、その内容は「初分難信解品第卅四之卅八」である。八世紀以前の書写資料を展覧会で何点か見したことがあるが、実際に手に取るのは今回が初めてであった。千二百年以上の歴史を持つ書物を手にした時の感動は、今でも鮮明に覚えている。
【潜在する最善本】印融著『文筆問答鈔』(永正元年成立)は、『作文大体』や『王沢不渇抄』に次ぐ、日本の漢文実作指導書として、日本漢文学理論史上重要な書物である。延宝九年刊の三巻三冊本は最も流布していた本であるが、内在する問題が多いと評されている(船津 1961)。この書物を正確に読むには、古写本との対校が必要である。早くから、尊経閣文庫蔵の天正十九年写本と慶長写本が紹介されている。前者は長い間に最古写本とされ、後者は船津先生の報告によって高野山正智院に所蔵されていたものの、現在の所蔵先は不明である(金原理 1979)。また、船津先生が所見した資料はフィルム形態のものであるから、原本を実見した研究者はいないと言えよう。近年、石川県立図書館蔵川口文庫蔵寛永五年古写本の紹介と翻刻作業は柳澤先生によって行われてきた。今回の実習で拝見した斯道文庫蔵『文筆問答鈔』は、上巻が永禄三年写、下巻が永禄四年写であり、尊経閣本よりも三十年早く書写された本である。本書については、大石有克氏「文筆問答鈔の版本について」(2005.12)で一節、『図説書誌学ー古典籍に学ぶ』(2010)で一頁分、それぞれ書誌情報が紹介されているのみで、内容に踏み込んだ研究はまだ進んでいない。本書は最善本と評価しうるかどうかは、今後の研究を待たねばならない。
《山上直(北海道大学 博士課程)》
実物の古典籍に直接触れる経験は、今まで一度もしたことがなかった。学部生時代、くず
し字を読む演習の学期最後の時間に、附属図書館に所蔵されている古文書を見せてもらったことがある。その時は、白い手袋を着用することが必須だった。それ以来、古文書というものは直接手で触ってはいけないものと考えていた。しかし、書誌学実習を機に「白い手袋」について調べてみると、『博物館資料取扱いガイドブック』(日本博物館協会編、ぎょうせい、2012年)に「素手で扱った方がはるかに資料の安全が確保されると判断された場合には素手で行う。この場合、きれいに洗った手で扱うことが前提となることは言うまでもない。……白手袋を使用すべきと主張する人もいるが、これはケース・バイ・ケースである」とあり、驚いた。よくよく考えれば、指先の細やかな感覚で直接対象に触れた方が、古文書を丁寧に且つ慎重に扱えるはずである。そして、実際に書誌学実習で、佐々木先生にポイントを教わりながら、古典籍に手で触れてみて、とても感動してしまった。紙の重さ・硬さ・色・張りだけでなく、紙のしなる音や墨ののり具合にも興味が引かれた。指で直接触れたことで、触覚だけでなく、聴覚・視覚までも敏感になったようだった。これは、間接的に見たり、手袋を通して触れたりするだけでは味わえない経験だった。そして、こうした感動を味わったことで、今まで何となく使っていた紙の種類や質感、作り方、用途にも関心が持てるようになった。書誌学実習はたった2日間の日程であったが、大変濃密な時間であった。
今回調査をしてみて改めて感じたのは、古典籍のデジタル化は調査・研究において大変便利だということである。古典籍のデジタル化により、研究における地理的な問題は以前よりずっと解消され、家から出ずに、パソコンの画面とにらめっこをしていても、ある程度の疑問を解消したり、考えをまとめたりすることができる。ただ、書誌学実習で感じたような感動はあまり湧かなかった。デジタルデータはあくまで間接的な視覚情報に過ぎず、そこから引き出される考えも、平面的・数値的な情報の域を出ない。感覚的な経験を積みにくいと強
く感じたのだった。このことを、便利さに目がくらんで、忘れてしまわないようにしたい。多くの諸本は、まだデジタル化されていないが、手続きをすれば、見に行けることも分かった。諸本巡りというのを旅行の目的とするのもまた面白いかもしれない。文学研究する中で、パソコンを打つだけではない指の感触を、もう少し大事にしていきたい。
《早川侑哉(東京大学 修士二年)》
日本では昔から、唐物を珍重してきた。しかしながら、写本時代の中華の本、例えば唐鈔本というものを略ぼ実見し得ない私たちにとって、目睹し得る唐本、明清版と言わず宋元版を例にとっても、それらは予想に反して(多年の珍重の事実に反して)なかなか簡素の感を抱かせるものである。
どうも、唐本(の良いもの)は外より内が美しい。宋版のあの整斉としてしかも温雅な字様(それは唐の楷書の諸名家の風を、選択的に承けたものという)、明代の上図下文式や或いは半葉を費やした図・像の形式による挿絵入りの版本、もっと時代が下って清朝後期の二色套印で刷られた評語など、中身には中々興味あるものが多い。それに比して、外見は意外なほど素気ないものが多いように思われる。
そこでようやく本題に入るのだが、和本にはなぜあれほど多種多様な装丁法によって仕立てられた、装飾性豊かで個性的な外観を持つ本が多く見られるのであろうか。この点については、実は今回の研修の最初に佐々木先生から説明のあったことなのだが、私なりにもう一度嚙み砕いて考えてみたい。
その理由の一もまた、上述の唐物珍重意識にあるのではないかと思うのである。佐々木先生からご説明頂いたことであり、ご著書『日本古典書誌学論』にも書かれているのだが、日本の古典籍に用いられる主要な五種の装丁法、巻子装・折本装・粘葉装・綴葉装・袋綴装はすべて中国から伝来したものである。しかし、中国では次第に袋綴(線装)に収斂していくのに対して、何故日本では五種が併用され続けたのかが問題になるだろう。
他の四種はともかく、綴葉装は日本中世の所謂「文学書」(和歌・物語等)の写本のイメージがあったので、今回、敦煌文献に類例があると知って大変驚いた。西洋のコデックスの装丁法とも類似するとのことであり、私などは何となく文学の香気を感じさせる装丁だと思うのだが、お話によると、敦煌発見のものは雑記帳のようなものの由である。粘葉装にしても、空海の「三十帖冊子」は仏書抄写用のノートであった訳で、特別な装丁という意識は無かったものであろう。見開き一枚の版面で一葉分を刷り、それを谷折りにして背を貼り合わせれば粘葉装、山折りにして端を綴じれば袋綴じになる訳で、版本に適するのはこの二種の装丁であろう。先述の通り、中国の版本はまさにこの二種の装丁によるのであるが、何か内容上の使い分けは無く、次第により便利な線装に移行していった。中国では綴葉装や粘葉装(蝴蝶装)に特に権威があった訳ではないのであろう。ところが、日本では粘葉装が空海将来のものとして真言宗において重視されたり、綴葉装は巻子に次ぐ格式を持つ装丁として、そこに保存される本文にも選好が加えられるようになった。こうした事の背景には、やはり日本の人々が、中国ではそれほど特別な意味を持たなかった文物でも舶来品として貴重視し、大切に保存した態度がある様に思われる。将来された唐本自体や、そこに保存されたテクストを尊重した態度と同様に、伝来した装丁法についても学び取り、継承していったのではなかったか。先の粘葉装のケースや折本が多く内典用であった例のごとく、将来の経緯や伝えられた本文の性質が、その後のその装丁の用途とも関わる場合があることを思うと、より一層その様に考えたくなる。ちょうど、日本漢字音に呉音・漢音・唐音が併存するのと同じような、「佚存」的現象の一と言っては言い過ぎだろうか。
もう一つの説明として、中国が夙に木版印刷の時代に入っていたのに対して、日本では写本の時代が長く続いたことが挙げられる。大量生産の版本の世界では画一的で効率的な方法への選択が進み、線装が他を圧していったのだと言える。対して一点物の写本の世界では、その様な効率性による淘汰が進まなかった。こちらの方が、日本において諸種の装丁法が併存し、ジャンルと相関する形で使いわけられたことの、端的かつ主要な理由であろう。ただ、その前提として、わざわざ種々の装丁法がそれぞれに意義あるものとして継承されていったこと、その理由を求める時、上記のようなことも作用するものかと愚考する。
(編集 東京大学特任研究員 松原舞)