基本情報
概要
齋藤希史(東京大学)
「文にたずさわる──夏目漱石を例として」
主催
科研「国際協働による東アジア古典学の次世代展開──文字世界のフロンティアを視点として」
北京大学外国語学院日本語言文化系
当日レポート
本日は北京大学にて、齋藤先生が「文にたずさわる―夏目漱石を例として―」というテーマで講義を行いました。「文にたずさわる」という主要な枠組みのもと、夏目漱石の作品と文学理論について詳細な検討を行い、同時に「文人とは何か」という究極の問いに取り組み、夏目漱石が持つ「近代性」に関する新しい議論を展開しました。
齋藤先生はまず「文人」という言葉が漢魏から六朝、白居易以降、そして近代の3つの歴史的段階において異なる含意を持っていることを説き、それが「賦を作る職人」から徐々に「生活趣味に富んだ文芸作家」に移行する過程を説明しました。更に、時代の要因だけでなく、「文人」の概念は地域によっても変化するのだと唱えました。
「変化する文人の概念」の大きな背景を明確にした上で、齋藤先生は夏目漱石の文学的な考え、特に文体意識に焦点を当て、夏目漱石が持つ多重なアイデンティティが近代的な「文人」を理解するための重要な窓口となると指摘しました。
齋藤先生は漱石の文学論、小説、漢詩の3つのカテゴリにわたる執筆について詳細に調査をされ、まず、漱石の文学論の鍵として科学的な用語の使用を挙げました。齋藤先生は漱石の『文学論』を例に挙げ、その方法論としてF(認識の要素)とf(感情の要素)を使用して(F+f)文学理論を構築する方法を紹介しました。例えば、漱石は伝統的な文学観念の中での「道徳」を「感情」の一種とみなし、「道徳的f」に帰属させました。かくして、重要な概念を科学的な語彙に吸収し、これによって伝統的な概念の解体が進んだことは、漱石の文学論の大きな開拓だと考えられます。齋藤先生はさらに、当時の文学評論家がしばしば西洋の語彙を「情」や「辞」などの漢文の伝統的な用語に対応させる傾向があることを挙げ、漱石はこのやり方には科学的な思想が再び伝統的な文学論の語りに収束される危険性があることに気づき、意図的に伝統的な文学論の用語の使用を回避したと指摘しました。
漱石の小説と漢詩の創作について論じる際、齋藤先生は「職業としての小説と療養としての漢詩」という新しいアプローチを採用し、異なる文体に作家がどのような態度を持つかに焦点を当てました。漱石の異なる人生の段階での漢詩の創作頻度と体裁の好みの違いを年表の形で示し、漱石の生活状態の変化が彼の創作に影響を及ぼしていることを明らかにしました。「職業」として、常に読者の存在を意識している小説の創作と異なり、漱石の漢詩はほぼ自分自身の心境を伝えるために作られ、作家自身の「療養」の一形態と見なすことができます。本来社交的な属性が強い漢詩を個人的な自己表現に変えることは、漱石の「近代性」の重要な表れだと指摘しました。さらに、漱石の「言文一致体」小説での対話の頻用や、作家が言語自体に対する疑念を背後に抱える様子、漱石小説でよく見られる詩画の配置などについても議論しました。最後に、漱石特有の文体意識について、齋藤先生は「部屋のすみわけ」という巧妙な比喩を使用し、漱石にとって、小説や漢詩などの異なる文体を創作することは、異なる部屋に住んで、異なる生活状態に対応しているようであるが、部屋同士は互いに連結された通路があるように、文体間にも作家の深層意識に流れる内在的な関連性があるのだと述べました。
質疑応答では、伝統的な言語を通じて近代性をどのように書き記すか江戸時代の詩人・頼山陽と漱石の思想の異同や「詩人」概念の変化、作家の批評と実際の創作の間の距離に関する問題、西洋の概念が古典的な言葉に完全に取り込まれる問題に対する当時他の作家の姿勢、「草枕」などの漱石の小説における漢詩の創作に関連するエピソードなどについて、盛んな議論が行われました。
続いて道坂先生は、「近代人とは何か」というテーマに基づいて、今回の講演内容を全体的に振り返りました。社会や個人などさまざまな場面で異なる役割を果たし、多くの事柄に疑念を抱くことが、近代人の重要な特徴であると指摘し、漱石が明らかにその典型であると述べました。「文人とは何か」という問いは、激しい変革で「絶対性」が揺らいだ近代において、単なる「美文学」がその限界を迎えているとされる中で、文人は的確な言葉を得るのが難しい状況に直面しています。漱石が選択した「部屋のすみわけ」戦略は、まさに近代人特有の態度を反映しており、自身の疑問を軽率に放置しないという姿勢が表れています。最後に、丁莉先生はこれまでの講演の成果を総括し、その意義を高く評価しました。
(北京大学外国語学院 匙可佳)