当日レポート
2023年11月22日(水)、北京大学民主楼にて「東アジア古典学の方法」国際シンポジウムが行われました。参加者は、陳明先生、道坂昭廣先生、德盛誠先生、丁莉先生、杜曉勤先生、高陽先生、李銘敬先生、劉雨珍先生、馬場小百合先生、田村隆先生、齋藤希史先生、張龍妹先生、周以量先生の13名の先生方、そして艾宇博、匙可佳、李暁玲、盧康、王格格、王順鑫、徐夢周、周維維の8名の若手研究者です。
開幕式、基調講演:
先ず、「東アジア古典学の視野」というテーマで、開会式が行われました。北京大学外国語学院院長・東方文学研究センター主任の陳明先生の開会挨拶に続き、北京大学中文系の杜暁勤先生と東京大学文学部の齋藤希史先生はそれぞれ「楊貴妃・白居易・空海―陳凱歌の映画『妖猫伝』から語り起こす―」と「漢字圏の多層性と古典学の回廊」というタイトルで基調講演をしました。
杜先生は『妖猫伝』という映画をめぐって、楊貴妃の死や『長恨歌』の創作理念、または空海の入唐求法などの話題を取り上げながら、史実とは合わないさまざまな脚色、虚構が見られる一方、そこには華やかな唐代とその象徴となる楊貴妃像に対する日中両国の人々の憧れと想像が込められていることを指摘し、一つの具体例から古代から現代まで日中両国間の文学・文化交流史の一端を明らかにしようとしました。
齋藤先生は、「漢字圏」という概念をめぐって、さまざまな角度から詳細に検討し、東アジア古典学の方法についての考えを述べました。齋藤先生は、東アジア地域がしばしば「漢字文化圏」と呼ばれ、「同文同種」という概念でその文化の同一性が強調されるという事実を指摘した一方で、漢字・漢文が流通し使用された地域が自然とある一つの圏域をなしているが、それを一つ「文化」として語ることには慎重でなければならないと述べました。この問題を解決するため、齋藤先生は書記体系によって構成され更新される多様な読み書きの圏域の連結体を「漢字圏」として考えられ、「東アジア古典学」のベースとなる「漢字圏」という概念を提案しました。続いて、齋藤先生は、通時性の視点から「漢字圏」を三つの歴史的な層に分け、「漢字圏」の展開とこの過程で発生したさまざまな問題について検討しました。特に、「漢字=中国」という観念から生じた、漢字を日本語にとって「不可避の他者」とする議論に焦点を当て、書記言語と口頭言語との距離に着目し、「他者」という概念を持ち出す場合、それは「自言語」と対比される「他言語」ではなく、「記す」という行為のもつ「他者性」であるべきだと指摘しました。書記言語は地域と時代を超えやすいものであるため、「他者」と見なされやすく、またそこに「古典」は発生すると述べました。最後に、齋藤先生は、読み書きという行為がそれぞれの圏域があるという事実を明確にした上で、「古典学の回廊」という概念を提案し、建物の構造や機能を分析し、回廊をたどって新な建物を見つけることが、東アジア古典学の方法と共通していると述べました。
論文発表:
続いて、「東アジア古典学の方法」というテーマで、8名の若手研究者の発表に入りました。
(1)南開大学の周維維さんが「記紀における渡海譚について」というタイトルで発表をしました。記紀には「入水献身型」と「祈祷祭祀型」、「神助霊験型」といったような異なる渡海方式が見られることを挙げ、「入水献身型」は人を生贄として海の神に捧げるため悲劇的な色彩を帯びているが、「祈祷祭祀型」および「神助霊験型」は神の力を借ることによって渡海できることから、良い結果につながると述べ、分析・比較し、またその背後における文学的、政治的、ないし宗教的な意図についてさまざまな視点から綿密な考察をしました。
馬場先生と劉雨珍先生は周さんの発表についてコメントをしました。馬場先生は、周さんが指摘した「祈祷祭祀型」と「神助霊験型」の渡海方式の異同について補足した上で、『古事記』における神武天皇の兄の渡海の描き方、さらには世界文学における渡海譚の様相などの問題に興味を示しました。劉先生は周さんの発表で指摘された中国典籍の要素に着目して、それについてさらに掘り下げる必要があると述べました。
(2)北京外国語大学の王格格さんは『古今和歌集』真名序の一考察―「文体」の視点から―」というタイトルで発表しました。王さんはまず、「文体」の二つの意味を説明し、文章の「形式」上の特徴(章段・句・詞)を手かがりに、『古今集』真名序を、それより前の勅撰集である勅撰三漢詩文集の序文と比較することにより、「勅撰和歌集序」の最初の作品としての真名序の価値を再評価することを試みました。
道坂先生は、王さんの発表における対句の統計や表現方法の分類について、より具体的な説明と明確な基準が必要だと指摘した上で、文章の形の問題だけではなく、漢文で書かれた『古今集』の意図や、出典と和漢文学の共通性などにも注目すべきであると述べました。李銘敬先生は王さんの指摘した『古今集』の類書的な性格について、序文以外の資料を利用して説明する必要があると述べ、真名序だけではなく仮名序も視野に入れるべきだと指摘しました。
(3)清華大学の徐夢周さんは「『蒙求和歌』における「孝」の歌の変奏」というタイトルで発表しました。『蒙求和歌』は四季・恋・懐旧・閑居・述懐などの先行和歌集の伝統に従って分類しているため、四季の風物と結びつくが、「孝」のテーマと大きなずれが生じると指摘し、また、教訓性を持つ親に対する子の「孝」というモチーフが、母が子に対する愛情を強調するものへと変化していることも指摘しました。『蒙求和歌』には、中国故事本来の主旨にこだわらず、和歌の伝統や日本文学のテーマにあわせて詠む姿勢が見えるという結論を出しました。
徐さんの発表について、馬場先生は『蒙求和歌』は中国の幼学書『蒙求』の日本における受容を研究するには重要な資料だとその意義を指摘した上で、徐さんが紹介した董永故事に関する和歌における「ハハキギ」という語から生じた意味の二重性などの興味深い問題を評価しました。周先生は、歌人が董永故事の和歌を詠んだ時、ほかの資料も参照した可能性についてより深い分析をしたほうがいいと述べました。
(4)北京大学の匙可佳さんは「「春の故郷」となった都―藤原良経の四季歌から見る「都うつり」の記憶―」というタイトルで発表しました。匙さんの発表では、藤原良経の四季歌における「故郷」に関する表現に焦点を当て、特に『新古今和歌集』春下の巻軸歌「明日よりは志賀の花園まれにだに誰かは問はん春の故郷」を含めて、その文学史における展開と時代背景に重点を置き、「文学の内部」と「外部」という二つの視点からその含意と特徴を明らかにしました。
匙さんの発表について、田村先生は大きな時代の流れだけではなく、良経本人の実体験も取り入れて、歌人の人生のどの段階で作られたかなど、より精細な分析があれば更に完成度の高い研究になると指摘しました。張龍妹先生は歌語としての「故郷」の古都との対応の問題に関心を示した一方で、発表であげられた歌の継承関係を確認するため、歌の表現史をより詳しく整理する必要があるという意見を述べました。
昼食の後、若手研究者たちによる発表が続きました。
(5)北京外国語大学の艾宇博さんは「『太平記』における人物造形と中国故事―護良親王の能臣武将像をめぐって―」というタイトルで発表しました。南北朝動乱を描いた軍記物語である『太平記』において数多く引用されている中国故事に注目した発表で、護良親王の讒言失脚事件を語る時に引用した「驪姫故事」と、親王が亡くなった時に引用した「眉間尺故事」を中心に考察しました。
艾さんの発表について、徳盛誠先生と丁莉先生がコメントをしました。徳盛先生は、発表を高く評価したうえで、護良親王の造形は伝統的な能臣の枠を超えて、武将として活躍した面が重視されたではないかと指摘し、そこで中国故事の受容と『太平記』の叙述のあり方についてさらに検討する余地があるという意見を述べました。丁先生は、『太平記』の作者が「眉間尺故事」を引用する意図に注目して、護良親王の凄まじい死に様の描写が「眉間尺故事」を踏まえた虚構ならば、「眉間尺故事」に本来書かれていない死に様の叙述は果たして『太平記』の創作なのか、それとも別の資料による引用なのかを再考する余地があり、また中世の作品の複雑な引用状況も考慮しなければならないと述べました。
(6)中国人民大学の王順鑫さんの発表のタイトルは「読本出典研究における中国研究者の姿勢についての一思考―『英草紙』における『太平記』の受容研究を例にして―」でした。翻案文学ジャンルの一つとしての読本を研究するには、その成立における日本文学伝統の役割と、異文化間の移植に達する翻案方法も見逃してはいけないという意見を述べ、『英草紙』における『太平記』の受容研究を例として、従来の読本研究における中国研究者の姿勢という問題について一考察を試みました。
徳盛先生は、都賀庭鐘による『英草紙』と当時の浄瑠璃作品との関係を綿密に考察してきたことを評価して、特にその作品の中に歌舞伎の趣向が書き込まれているという指摘に興味を示した一方、資料の収集の面についての意見を教示しました。高陽先生は『太平記』の注釈書や『太平記秘伝理尽抄』などのテキストにも注目して、『太平記』を軸とするさまざまなジャンルの文学の関連をより綜合的に把握する必要があると述べました。また、発表の重点はむしろ後半にある高師直像の問題に置くべきであると指摘し、論文の構成についての意見を述べました。
(7)南開大学の李暁玲さんは「頼山陽の竹枝詞に関する一考察―「長崎謡」「長崎雑詩」を中心に―」というタイトルで発表をしました。李さんは、中国の竹枝詞と比較して、日本に伝入した竹枝詞は漢詩壇の詩風変遷を経て「日本化」を遂げ、江戸中後期になると、遊廓文化と関連付けられていたと述べました。その中で、頼山陽は異論を唱える特殊な存在だと指摘した上で、彼が文政元年に詠みあげた「長崎竹枝」を研究対象とし、山陽が考える竹枝詞の本質、そして彼の竹枝詞に関する実践と言説に見られる齟齬などの諸問題を明らかにしました。
李さんの発表の内容について、齋藤先生は、祇園南海の「江南歌」には時代が見られず、頼山陽は南海の竹枝詞に共鳴しながらもそれを受け継ぎ、自分の竹枝詞に時代性を加えたと指摘しました。張龍妹先生は、頼山陽の竹枝詞は従来の研究において「西遊詩」の一部として扱われることが多いということに対して、その竹枝詞は「西遊詩」と見なされている場合と、「竹枝詞」として論じられている場合とはどのような差異があるか質問しました。
(8)北京大学の盧康さんの発表のタイトルは「夢枕獏『陰陽師』における中国神話および民間伝説の変容と中国像の生成」でした。主に『陰陽師』における中国神話および民間伝説の変容と中国像の生成を中心に、危険な「唐」というイメージが如何に創り出されたかを論じました
田村先生はより多くの資料を踏まえて総合的な考察をすればさらに興味深い論となると指摘しました。周先生は、中国の古典をどのように利用しているのか、また、日本と中国における「鬼」のイメージの食い違いにも注目しなければならないと指摘し、結論を出すまでにはより慎重な態度を取るべきだという意見を述べました。
座談会:
休憩の後、「国際協働による東アジア古典学の次世代展開」をテーマとする座談会が行われました。
まず8名の若手研究者が、出された質問へ回答した他、ほかの発表者の発表についての感想を述べるなどした。続いて、14名の先生方はそれぞれ「古典学の次世代展開」に関する考えを述べました。中山大学の賈智先生は、今回の会議でアジア文化の対話の可能性を見出したと述べ、中日の古典(経典)を比較する価値と方法について話し合う必要があると提言しました。賈先生の提言をめぐって、先生方はそれぞれの研究分野を踏まえてさまざまな視点から話しました。また、丁莉先生は「共有できる経典」の意義について感想を述べた上で、文字とは違うもう一つの「回廊」である「絵画」の価値を提示しました。
閉会式:
最後に閉会式が行われました。齋藤先生は閉会の辞として、若手研究者たちの発表から与えられた感動を述べながら、研究データ・成果の共有の意味を高く評価しました。また、研究方法について、読者の視点と通時性の重要性を強調し、「中華文明圏」という概念に関する理解や考えを述べた上で、今回の会議の意義をあらためて評価し、謝辞を述べました。
(北京大学外国語学院 匙可佳)