基本情報
概要
金沢英之(北海道大学)
「『古事記』とはどのような書物か——『日本書紀』との比較を通じて考える」
参加学生は国立台湾大学日本語文学系で学ぶ学部生及び大学院生です。
主催
科研「国際協働による東アジア古典学の次世代展開──文字世界のフロンティアを視点として」
国立台湾大学日本語文学系所
当日レポート
台湾大学にて「『古事記』とはどのような書物か―『日本書紀』を通して考える―」というタイトルで金沢英之先生の特別講義が開催されました。これまで感染症流行のため、日本からオンラインで講義を開催しておりましたが、海外渡航の再開に伴い、初めての現地での開催となりました。当日は、台湾大学で日本語・日本文学を専攻する学生及び教員の方々にご参加いただきました。
はじめに『古事記』と『日本書紀』の概要として、両書の成立期や内容について説明をされた。続いて其々の書名について、『日本書紀』はどこから見て「日本」なのかという問いのもと、「朝鮮」が朝焼けの国という意味であることと同様であり、中国を中央に置き、中国からから見て東にあることを表しており、つまり外からの視線が入っていることを指摘された。それでは「日本」を持たない『古事記』はどの様な書名として捉えられるのか。『古事記』は外部からの視線を意識した『日本書紀』とは異なり、自分たちだけの、〈外部〉の無い世界が書かれており、「日本」以前にあった世界の出来事、「古事」が記されている。日本が中国や朝鮮との関係に入る前の歴史書として作られたことを説明された。
続いて両者の文体と世界像について言及された。『日本書紀』の文体は漢文で書かれ、冒頭の内容は混沌からの天地・陰陽の分離が書かれ、神は天地の中間に誕生している。一方『古事記』の文体は漢字の訓と音を交用した非漢文であり、冒頭の内容は天と地は初めから存在しており、神は天の世界(高天原)に誕生している。
『古事記』の記録の構成として、上巻は地上世界の確立・天神の子孫による統治へ至るまでの内容、中巻は統治の始まりから朝鮮・百済を含めた支配域(天下)の完成まで、下巻では完成した天下があるべき充足を保ちつつ継承されてきた正当性、つまり仁徳系・継体系共通の祖として応神天皇があり、終わりから遡って見ると、終わってしまった王朝として仁徳系を位置づけ、継体系が正当であることを語る内容が読み解けることを紹介された。
このような世界観を持つ『古事記』では文字文化の伝来について応神天皇状に阿直史・文首の先祖の来朝と『論語』『千字文』が将来されたことが書かれているのみである。一方、『日本書紀』では応神15年に文字を書く技術を持った人々が来朝したことを皮切りに、高麗の上表や各地の産物の記録、国史の設置、五経博士の貢上など、文字文化が確実に展開されていったことが語られる。三代後の欽明朝では朝鮮半島との関わりに関する記録から、例えば任那に日本の出先機関を設置し、異なる言語間において共通言語である漢語を用いて詔書や上表などの交流がなされていたことがわかる。これら「書」を通じた外界との繋がりは『日本書紀』のみに記録されており、『古事記』にはない。
一方、『古事記』では「コトムケ(言向け、言趣け)」が語られる。コトムケとは平定した相手に服従の言葉を向けさせることであり、それは「書」のような書かれた言葉ではなく、音声としての〈ことば〉である。このような〈ことば〉によって成り立つ世界として「古」を捉えている。『古事記』では欽明以下を〈現代〉として設定し、推古朝を最後の記録としているが、真の終着点として設定されているのは欽明以下の皇統の始祖としてある日子人太子である。現在の皇統に至るまでの物語が書かれていると考えるべきであり、かつて存在した〈ことば〉によって成り立つ「古」の世界と繋がっているということを語る。
金沢先生は最後に『古事記』を、文字によらない世界を文字によって描き出す試みであり、「〈ことば〉によって成り立つ世界」という装いを持っているが、それは文字文化に直面することによって意識されたものだとまとめられた。
充実したご講義を用意くださった金沢英之先生と、ご参加頂きました方々に改めて感謝いたします。
(東京大学 特任研究員 松原舞)