基本情報
概要
宋晗(フェリス女学院大学 准教授)
「建安詩における自然描写の変容――王粲・劉楨を中心に――」
コメンテーター:廬旭(京都大学 博士課程)
金鑫(東京大学 研究員)
「六朝・唐代文学における「雲雨」「雨絶」の意味」
コメンテーター:伍晨曦(京都大学 修士課程)
主催
科研「国際協働による東アジア古典学の次世代展開──文字世界のフロンティアを視点として」
当日レポート
今回は宋晗先生(フェリス女学院大学 准教授)と金鑫先生(東京大学 研究員)が発表を行いました。コメンテーターは廬旭さん(京都大学 博士課程)と伍晨曦さん(京都大学 修士課程)が務めました。
宋先生の発表のテーマは「建安詩における自然描写の変容――王粲・劉楨を中心に――」で、建安時期の宴という集団的な公の場に焦点を当て、その公の場で生まれた詩の自然描写について検討し、そこでの自然描写が詩人の実際の人生をどのように表現しているかを分析しました。宴の詩の基本的な性格を分析したうえで、宋先生は王粲と劉楨という二人の人物を選び、個人を表す自然描写と公讌詩の定型的な自然描写の異同を分析して、自然描写が作者のかけがえのない生を詩に刻印することができる表現という結論に達しました。
コメンテーターの廬さんは、発表の内容を総括した上で、主旨に応じてさらに『文選』の「雜詩」というジャンルを掘り下げすべきという意見を述べました。
二番目の金先生の発表は「六朝・唐代文学における「雲雨」「雨絶」の意味」というテーマをめぐって、六朝から唐代にかけての「雲雨」「雨絶」の使い方とその意味に注目し、「高唐賦」序の「雲雨」と六朝に「離散」を表す「雲雨」はどのような関係にあるのか、さらに「雲雨」「雨絶」の出典はどこにあるのかについて考察を行いました。金先生は「雲雨」「雨絶」の意味は「楚王と神女の離別」から、六朝の「男性同士の離別と死別」を経て成立したものだと結論を出されました。最後に、余論として、金先生は「雲雨」がエロティックな言葉になってしまった過程を明らかにしました。
コメンテーターの伍さんは、三つの点について質問しました。第一は潘岳の「雨絶有帰雲」における「雨絶」の解釈の違い、第二は「雲雨」の使用における男女の差異、第三は「雲雨」「雨絶」の意味の両系譜の関係性と『高唐賦』序の位置について問われました。
その後の総合討論では、「雲雨」は日本の辞書の解釈の深さ、中国の詩歌の発展と日本の漢詩の発展の比較、建安の時代の問題、人物の選び、歴史との関連性、論点の絞り方などについて活発な議論が行われました。
今回の二先生の発表はいずれも中国古典詩歌を中心としたもので、それぞれの角度から、それぞれの研究方法を応用しておりとても興味深くお話を伺いました。そして、ハイブリッドで開催となりましたので、多くの研究者と学生さんが参加でき、非常に有意義な研究会になりました。
(東京大学修士課程 顔小凡)